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令和3年12月19日長岡寺すこやか坐禅会

提唱:お寺からマインドフルネス:第8回(身なるもの、心なるもの)。

まだまだよく理解できていないとは思いますが、倶舎論を読んでいてきっとこんな感じかなとおもうところがあり、一度、まとめてみたいと思います。身体的な感覚として益になるものについては、楽、つまり悦ばしいもの、いわゆる+(プラス)的なものとしてとらえることができ、その反対のものが苦、つまり、悦ばしくないもの、いわゆる−(マイナス)的なものとしてとらえられているようです。こういうアプローチは、現代でも、即座に感情を把握する際に利用されるもので、親しみやすいものであると思います。

そこから、書籍では、教義的な話にもなっていくのですが、瞑想の深まりにより、身なるものから、心なるものへのシフトが起こり、楽=喜悦=プラス、苦=喜悦でないもの=マイナス、という身体的感覚に支えられる繋がりが弱くなっていくと捉えられているようです。身体感覚に直接的に関連する苦楽に代わり、心的な感覚に関連して憂と楽が登場してきます。より気分に近くなっていきます。

また、「捨」という働きがあり、身における苦楽、心における楽憂に等しく中立的な働きをするようです。

ここが考えどころなのですが、身体において中立というのは、身体に呼応する感覚を持たないという意味で、何も感じないプラスマイナスゼロのような状態になると思います。一方で、心においては、中立であることは、主観を離れるということであり、憂いの原因となるものが無価値になる、結果として憂いから離れるという意味合いになることと思います。それゆえ、同じ働きであっても、効果が異なるという言い方ができているのではないかと思います。尤も、こんな話だろうという読み方は危険ですから、もう少し時間をかけて倶舎論を読んでみたいと思います。また、来年の3月から、少しでも掘り下げていけたらと思います。

 

https://youtu.be/STm2T2v76To

 

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