令和3年6月27日長岡寺すこやか坐禅会
提唱:集(四諦)について: 苦しみ「が」あるのか、苦しみ「で」あるのか?
提唱から逸脱した話をします。
どこかにあるようなドラマの台詞みたいですけど、「何故悪がなくならないのか」という問いは、人を誘惑します。
特に社会正義(これ何だろう?)を掲げて人を非難する人は、自分が正しい前提で話をするので無敵な気分になってしまいそう。
一方で、どこか仏教は、世の中に悪「で」あることはあっても、本質的に悪なるもの「が」存在しないと言ってくれるようで好きなんです。(善もまた然りでしょうね…)。